気ままな文章。

思ったこと、考えたことをそのまま。

もっと思ってることをはき出そう

自分に具体的に起こせる行動がないにしても、

それに関心をもって考えたっていう事実だけでも

かなり意味のあることだと思っている。

 

 

「私はこれができます」っていう専門分野がなかったら

社会のなかで”使える”人間にはならない。

漠然といろんなことに関して知識があるだけじゃ実践力がない。

だから

高校を卒業する前に大体の進みたい分野を決める。

そして、さらに分野を絞っていき、

細分化された分野のある1つ、○○学とかについて

特に集中的に学ぶor技術を身につける。

そうした人が「使える人間」として社会へ出ていく。

 

その専門をたくさん持つのは無理がある。

 

ここが一人の人間にできることは少ないよなあ、、と

無力感にぶつかるところなのだけど

 

でも社会の中のいろんな分野で頑張ってらっしゃる方々のことや、

同輩と夢を語り合ったときにあまり分野かぶりせずに

皆がそれぞれやりたいことを持っていることを知ったりする中で、

ひとりひとりにできることは少ないかもしれないけれど

だからこそ世界にはたくさんの人がいて

役割分担できるようになっている、

自分にできる範囲で本当にやりたいことを専門にして

それを本気で頑張ることが第一なのだ、

と思えるようになった。

 

でも

理系学部生なのに

難民問題を考えるコミュニティにも参加している友人などを見ていて、

専門(を持つこと)に縛られていた自分に気づいた。

誰しも、自分があまり精通していない分野の話は、無意識のうちに、

「自分には関係ない(専門ではないという意味で)」、

「自分にはわからない、興味がない」

と、思いがちなのではないだろうか。

 

でも別に専門外だからといって、

「自分は門外漢だから」と卑下して

意見を言っちゃいけないわけではないし、

むしろ

専門ではない人たちこそが関心を持ち、考えるようになってこそ、

その分野の問題は解決する方向へと進んでいくはずなのだ。

専門家がその分野を考えるのは当たり前のこと。

その専門家だけで十分なら、

いろいろな社会問題は疾うに解決していてもおかしくはない。

関心がある専門家が頭を悩ます大きな問題というのは、

皆が関心を持って考えてくれないこと

なのではないか。

 

私が主に関心があるのは地球環境問題である。

そして私の中でのテーマ(抽象的な大テーマ)は

“人間がストレスフリーに環境のことを自然に意識することができ、

環境にやさしい行動を常に心がけることができる”

そんな街づくりをすること。

(私が「やりたいこと」はまたいつか詳しく書きます)

つまり

皆にもっと環境問題を自分ゴトとして捉えて

意識的に行動してほしいんです。

 

 

自分の専門外でも関心を持って考える、意見を言う、行動する

そういう人が増えれば、

一人一人に具体的に起こせる行動はなくても、

それだけで確実に

社会を、世界を、変えていく動きになるはず。

 

皆が

「社会をよりよくするためには?」と

いろんな問題を考える。

いろんな考え方、意見があって、

まとまらないのは当然だろうけれど、

それでも皆が関心を持つだけで

社会はもっといい方向に進むんじゃないかと思う。

 

だから、別に

門外漢だからとか、

まだ学生で知識がないからとか、

自信がないとか、

そんなことはどうでもいいから、

いろんな立場にある人がそれぞれの立場で考えることにこそ意味があるんだから、

臆さず、何か思ったことがあるなら発信しよう。

 

私はそういう思いでここにもいろいろ残していきたい。